おどろかない

 俺が橘京子から何を聞いたか知らない古泉の、今までと何ら変わらない態度を見つめて変わったのは知らされた自分でしかないことに首を振って苦く笑う。古泉は俺が知ったかもしれないことを知らない。未来人のお墨付きに聡いこいつのことだから、俺の投げかけた唐突な質問から大体のことは察しているかもしれないが。そう、何が変わったって言うんだ? 変わったのは俺だ。知った、かもしれないと疑う、この俺だ。何が嘘か、どこまで嘘か、どれが本当なのか、どれが古泉の本音なのか。それを少しでも思えば、俺が勝手に寄せていた同情まがいの感情は、文字通り救いようのないほどに勝手に、形を失ってぐにゃぐにゃとうごめきだす。古泉を信じている。古泉の言葉を疑っている。数える指が足りないくらいに上り込んだこの部屋は、奥の棚に目立たない程度に並べられているファイルは、放り出される理由に散々使われてきた報告書とやらは、時たま重たげに吐き出されてきた言葉の切れ端は、本当は一体なんなんだ? なんだったんだ?
 俺は口をつぐむ。答えを求める気はなかった。そもそも俺は古泉の属する『機関』について、今まで取り立てて実際を尋ねたことはなかった。古泉といるにあたって、それを知る必要を感じなかった。だから、俺は俺に見える範囲にあるいくつかの断片から、まるで連想ゲームのように推測を、想像を、妄想を働かせて、ひとりで好きに合点を行かせて、その前提を敷いて、俺は古泉を見て理解して飲み込んで受け入れて触ってきた、のだ。俺自身が古泉の背後なんてものをどこまで意識していたのかは、今となってはよくわからないが。古泉は黙る俺を横目に、ペットボトルから茶を注いでいる。その口元は平素と変わらずに、薄い笑みの形をしていた。
「古泉」
 名前を呼べば、はい、と弦楽器が弾かれるように素直に応える。こちらを向く瞳はいつもと同じく落ち着いた、磨いた古い木製の楽器のような、艶やかな琥珀色をしている。その双眸は俺を映したままそっと緩んで、溶けるように細められる。
「団長への一周年の贈り物、ですか。案自体は非常にいいと思いますが、具体的には何も思いついていない、というところですかね」
 思考が読まれたような、まったく的外れであるような。
「古泉」
 座り慣れたソファの上に、俺は片膝を引き上げて抱える。笑みを遮られた古泉は、ペットボトルを置いて首を傾ける。
「なんでしょう」
 聞きたいことがあるのは嘘ではないのに、それは間違いなくそうなのに、せっかくかたちを持たないでいる疑念を、あえてわざわざかたちのある質問にしようとは思えなかった。尋ねたいけれど、答えを聞きだしたいとは思わなかった。放っておいたら聞いてもないことばかりしゃべりだす古泉があえて自分から言わないことを、どうして俺が知りたいと思う? 聞かされないことは知りたくない。そうだ。藤原の言葉がふとよぎる。いったん聞いてしまった以上、あんたは僕の言葉に影響されざるをえない。なら。
 そうだ。
 違う。
 俺は――
 たぶん俺は、古泉が言わないでいることを、古泉じゃない他の誰かから聞かされるのが、それが気にくわないんだろう。
 中身なんて問題じゃない。そんなのはどうでもいいんだ。古泉がどんな立場であるとか何者なのかとか今までどうしてきたのかとかこれから何をするのかとか、機関のリーダーだとか偉い人だとか末端だとか尊敬しちゃうとか、そんなことはどうだっていいんだ。俺が聞きたいのは古泉がたまに、ふいに、こちらを見ずにそっと漏らしてくれる独り言のような古泉自身の言葉であって、だから、他のヤツがどんだけ俺の知らない古泉のことを知っていようと、それは――それは、どうでもいいんだよ。そんなこと、俺は知らなくていい。知る必要がない。知りたいと思わない。古泉が俺に、知ってほしいと思うことではないからだ。古泉が俺に教えてくれようとすることなら、俺は十二分にわかってやっていたい。後からなんと言い訳されても、ぜんぶ余さず覚えていて、うっかりこぼれたようなどうでもいい言葉でも、ねちねち思い返して頬筋を緩める材料にしたい。俺が知ることを許してくれたことはぜんぶ、知ったまま忘れずに、大事にしたいし、しているつもりだ。でも、そうじゃない言葉なら、俺にはいらない。邪魔なだけだ。
 古泉が俺に伝えてくる情報の真偽なんて、それこそ心底どうでもいいんだ。俺は古泉を信じている。古泉の言う、古泉の言葉を信じている。古泉が俺に嘘を騙るわけなんかないし、とあの閉鎖空間の混乱しきった状況の中で、俺の頭は確かにそういう文字列を吐きだした。その通り、その真偽が深刻な問題になるようなことなら、古泉は絶対に俺に嘘は言わない。だから平気だ。俺にとっては、古泉の伝えたがることが、本当でいいのだ。どんな話にも頷いて、そういうことにしておいてやれる。たとえそれが真実と食い違っていたって、だから一体どうだと言うんだ? 心配だの同情だの愛情だのがちょっと嵩増しされるくらいで、それなら痛くもかゆくもないぜ。
 古泉は言いたくないなら言わないだろうし、言いたくなったら言うだろう。俺はそう信じてやれるし、古泉が俺に言いたいと思った言葉なら、いくらだって信じてやれる。古泉の言うことが本当だと、そうであるように気を付けてやれる。もしほころびを見つけたとしても。
「……俺も相当甘いよなあ」
「ははあ。……詰めが、ですか」
 何を言ってるんだお前は。したり顔でにやにやしやがって、せっかく人が真面目に考えていたってのに。つい笑っちまった拍子に立てていた膝がソファの下に落ちて、身体と脳から力が抜けた。息をして、俺は古泉の入れてくれたペットボトル茶に手を伸ばす。
「それで、プレゼントは何にするんです?」
 もういいよ。それは俺がひとりで考えたって未来のお前が言ってたしな。いい気なもんだ。あれこそ都合のいい嘘じゃないのかと思うね。まったく、初めて未来に行ってみても結局、そこの未来人の言葉が俺に影響を与えてきやがるというわけだ。未来の優位性とやらの実例は、藤原の野郎よりも古泉の方がわかりやすく実演してくれている気がするな。従う必要が本当にあるのかは知らんが、この問題は確かに俺が頭を悩ませるのがベストであると認めるにやぶさかでない。
「僕としましては、ここはひとつ指輪など――」
「誰がやるか! もういいって言ってんだろ、指輪がほしいなら今度な。金がない」
 古泉は変な声でへらへら笑って、楽しそうな瞳で俺を見る。今までと何も変わらない、害意のない人好きのする笑顔。それが外で見るより若干ゆるんだものに見えるのは、俺のひいき目のせいなのかね。まあいいや。どうだっていい。今さら何が起きたって、外野が何を言ったって、古泉も俺も、この関係も変わらない。このまま行けるところまで並走してやろうじゃないか。時の果てるところまで、なんなら世界の終わりまで。

実際のキョンさんは「ま、そういうことにしておいてやるさ」とか言って「詮索は野暮」の一言で片づけてたけどね!大物すぎるわ!
ほんとのところが分からないなら最悪の状況を想定して最高に優しくしとけばいいやという結論に達しました