朝が来たのでおやすみなさい

 二人きりの我が家の食卓に一人だけでつかされて、古泉はそわそわと落ち着かない様子で膝に置いた手ばかりを見ている。小さなデジタル数字がゼロに変わると同時に電子音が鳴り出して、俺はそれを指一本で黙らせた。レンジの中の冷凍ナポリタンは科学のおかげでできたて熱々に早変わり。湯気にまみれた袋から中身を皿にぶちまければ完成だ。
「ほい、お待ちどお」
 仕上げに来客用の上等フォークを突き刺してやってから、俺は古泉の前にそれをどんと突き出した。向かいの席に腰掛けて、自分で入れた緑茶を一口。もうぬるい。
「……いただきます」
 両手をぴったり合わせて頭まで深々と下げる古泉は、どこか緊張しているようにも見える。親が妹も連れて泊まりに出かけるなんていう都合のいいシチュエーション、滅多にあるもんでもないんだからもう少し気を抜けばいいのに。頬杖をつくと目が合って、古泉が首を傾けて笑う。我が家の平々凡々な食器類の中ではかなり上等な部類に入るであろうフォークの柄を、古泉の不健康に白い右手が綺麗に握った。
 ゆっくりゆっくり麺を巻き付けて、持ち上げたところでほどけて落ちる。まただらだらと巻き付け直して持ち上げる。ついでに少ない具もすくおうとして落としてさらにまた麺がほどけてもう一回巻いてそれからたまねぎとウインナーをやっとのことで結局刺す。
 それでようやく口に入る量はというと、シャミセンの一口のほうがまだでかいんじゃないかという程度である。もしかしてフォークだけでなくスプーンも、ついでにナイフに紙ナプキンによだれかけあたりまで持ってくるべきだったのか? 何割引で購入されたんだかは知らんが、五分三十秒でできる冷凍パスタをそんなに慎重に食う必要はどこにもないぞ。しかもそれは予約でいっぱいのレストランのもんでもなんでもない、安いだけが売りの名も知らぬメーカーの商品だ。ラインナップはナポリタンとミートソースとカルボナーラしかないけどな。
「お前、いくらなんでもその食いっぷりはどうなんだ」
 ケチャップ味に染まる皿の中で一生懸命フォークを回転させていた古泉は、俺の呆れた突っ込みにぴたりと手を止めた。のろのろと顔が上がり、突然強盗に入って来られて初めて玄関に鍵をかけ忘れていたことを思い出した、みたいな表情が俺に向けられる。はあ、とかなんとか呟いて、古泉はまったく減っていない皿をまた一瞥すると、見る間に困ったように眉尻を下げた。
 ……ああ、もしかすると。
「すまん、食欲がないんなら、無理しなくていいぞ」
 大丈夫か、と俺が問いかける前に古泉は慌てた様子で首を横に振った。放課後に『機関』の会議だかなんだかでいきなり召集されていって、そのまま帰ってくる暇もなく久々の灰色空間アルバイトのコンボで午前さまである。いくらこいつが晩飯抜きだからとは言っても、やはりこんな時間にナポリタンなんぞ出すもんではなかったかもしれない。冷凍庫にろくなもんがないのがいかん。カップ麺はもう食い飽きたとか言う古泉も悪い。
 窓のほうに目をやると、閉じたカーテンの隙間には朝の日差しがそろそろと溜まり始めていた。風呂に入れたりなんだりで思ったより時間がかかったせいだ。このぶんじゃ、朝食がどうとか言う前に昼までに起きられるかも怪しいな。
「食欲がないわけではありませんよ。もちろん、体調も普段と変わりません。少し疲れているのは認めますけどね」
 どこか落ち着かない素振りで、古泉はフォークを握り締めて笑ってみせる。嘘ではないと言わんばかりにぐるぐる回されたそれが器からすくい上げたのは、けれどもやはり俺の一口の半分程度の量だった。なんとなく気が重くなる。口元を橙色に汚すこともなく、食べ方だけは手元のおぼつかなさと違っていつも通りにお綺麗でお上品だが、どこか違和感が拭えない。ことさらゆっくりと咀嚼する古泉を凝視していると、俺の無遠慮な視線と沈黙に耐えかねたのか、気まずそうに肩がすくめられた。
「……あの」
 冷えたお茶を飲み干してから一息。
「なんだ」
「…………その、怒りませんか」
「なにを」
 いつになく困り果てた様子で口をつぐみ、古泉は俺の顔とまだ半分以上残っているナポリタンを交互に見ている。我が家ではしょっちゅう食っているやつだからそれなりにおいしいのは間違いないし、俺は温める以外になにも手を加えていない。賞味期限も大丈夫だったし、古泉の言葉を信じるなら食欲もあって空腹である、と。
 なんとなく言いたいことが分かってきた。
「あー、怒らんからさっさと言え」
 古泉はぎこちなく笑顔を作ってフォークを置き、皿のほうに視線を落とす。
「約束を反故にしてしまった上に、夜食まで作っていただいておいて、こんなことを言うのは大変申し訳ないのですが、その……」
 俺は黙って先を促す。
「……お恥ずかしいことに、僕はトマトソースがあまり得意ではなくて」
 だろうと思ったよ。すみません、とうつむいた古泉は結構深刻な顔をして口元だけを笑わせている。相変わらずいちいち面倒くさいこと極まりないやつだ。
「だったらレンジに入れる前に言ってくれよ。好き嫌いくらい俺にだって腐るほどあるし、んなことで今のお前を怒るほど俺はカルシウム不足じゃねえぞ」
「ですが、あなたが僕に食事を作ってくれることなんて滅多にないでしょう?」
 情けない声を上げた古泉の言うこともまあ分からないではないが、冷凍食品をチンしたくらいでそんなことを言われても罪悪感しか湧いてこない。とりあえず古泉の皿に手を伸ばして、自分のほうにずるずると引き寄せる。フォークの柄の模様が俺のより数段凝っていて、なんだか握り心地が不思議だが古泉の体温でほどよく生ぬるいのでよしとしておく。
「お前の飯がうまいからな」
 それに比べれば、こんな冷凍食品のお味など可も不可もなさすぎるってもんだ。
 動きを止めた古泉は、得体の知れないものを見る目で俺を凝視している。トマトソースの味しかしない冷めたナポリタンをかきこみつつ、とりあえず俺はニヤニヤ笑いを返しておいた。
「涼宮さんには言わないでくださいよ。できればだれにも」
 はいはい。二人だけの秘密ってやつね。
 古泉は不満げに唇を結ぶふりをして、明るい窓のほうへそっぽを向く。いつの間にやらもう完全に朝が来てしまったらしい。結局俺も古泉も仲良く完徹というわけだ。親がいない日で本当に助かった。
「……とりあえず、今度カルボナーラ作ってやるよ」
 簡単に釣られた俺の一言で、古泉はあっさりとこっちを向いた。そんなに嬉しそうに笑われても、どうせまた冷凍だってのに。最後のたまねぎをすくい上げて口に放り込む。オレンジ色に染まった皿は見事に空っぽになった。
「ごちそうさまでした」
 古泉は律儀に両手を合わせる。俺もそれに習って軽く頭を下げ、同じ言葉をつぶやいた。
「……それじゃあ、もう寝ましょう、か」
 妙な調子でそう言うと、古泉は俺を見て微笑みを浮かべた。ああもう、なんだよ。いただきます。

『陰謀』P279より お昼にみんなで新しいイタリア料理屋さんに行こうってところ
「俺はいいが、古泉はどうだ?」
 ここで、「いやぁ実はトマトソースが食べられなくて」とか空気を読まないセリフでも吐いてくれたらどうなるだろうと考えてゲタを放ってやったものの、古泉がハルヒの計画に反するような意見を発するわけがなく、「いいですね」と短く答えて微笑むばかりだった。

どう見ても古泉がトマトソースだめなの俺だけが知ってるぜ自慢です 本当にありがとうございました

2009.11.01のキョン古プチオンリーで配ったペーパーでした
ギリギリだったからってタイトルがやっつけすぎると思うんだ