あなたがうらやましくてたまらない、と古泉は突然つぶやいた。今現在進行中のこのオセロにおける俺の圧倒的優勢具合のことがか、とやるせない声で問い返すと古泉は返事の代わりに息だけで笑った。黒いマグネットを適当な位置に置きながらそれでだからなに、ともう一度訊いてやったら古泉は白い磁石をまるで見当違いの場所に置いた。
「言葉通りの意味ですが。あなたがうらやましくてたまらない、と」
ああそうかい。投げやりに返事をしてから、置かれたばかりの白の横に黒を置いて古泉のしたことを無意味に変えてやった。
「確かに俺もお前みたいな奴にはなりたくないな」
そう言うと古泉はまた笑う。今度はだれの目にもはっきりわかるような、あからさまな、葬式で喪主が見せるみたいな心臓に悪い作り笑顔で。つまりきっとこれもぜんぶ嘘なんだろう。俺はこれ見よがしにため息をついて古泉に付き合ってやることにする。
「別に超能力者さまの羨望の対象になるような素晴らしい人生を送っている気はしないがな。
俺の何がうらやましいんだって?」
手を止めて古泉の顔をじいっと見つめる。古泉はまだ偽造っぽい悲哀を全身から滲ませていたが、口元だけがこらえるように笑っていた。ばれていないつもりなのかわざとやっているのかは俺には判断する術がなく、まばたきをひとつしてどうでもいいことはみんな忘れてやった。たとえばこれが嘘かもしれないってこととか、こいつが普通の人間じゃないことなんかも。
古泉は重々しく口を開く。
そんなことで悩めるほどヒマなお前がうらやましいよ俺はと大声で言い放って席を立つ。古泉は動かずにほとんど真っ黒に染まった板に視線を落とし続けていた。まとわりつく影のような青い気配はもう見えなかったが、その代わり口元も笑ってはいなかった。まったくの無表情。古泉の目はくらい、そして俺が染めた色をそのまま映したようにくろい。鏡みたいな目だ。周りを綺麗に映しすぎる、元の色なんか最初からなかったみたいに。
軽い鞄をひっかけて扉へ、ノブに手をかけたところで俺は振り返らない。なにを言おうか数秒迷って結局なにも言わずに黙り込む。言えることは俺にはないし言いたいこともたぶんつながらない。ただ、このまま古泉をひとり置いていけば明日になったってまだここで黒を見つめているだろう。確信をもってそう思う。
「あなたが平凡でなんの力もない、一介の高校生にすぎないことが」
古泉は穏やかな声でそう言った。
無言のまま振り返り、たった今俺が黒く塗り潰したオセロ板に手を伸ばす。ぱち、と小気味良い音をたてて俺の黒を古泉の白に変えた。そうしてはしから順にモノクロの世界を反転させていく。ゆっくりと、緩慢に、自分の手さえうまく動かせない幼児のような、たどたどしい手つきで。ぱち、…ぱち、…ぱち、と。
古泉はそれを静かに見ていた。音だけが順序よく響き続けた。ずいぶん長い時間をかけて黒はすべて白く染まり、そこで俺はようやく手を止める。
古泉は顔を上げてこちらを見た。
殉教者のように穏やかな瞳は、くらく澄んだ水をたたえていた。
「…うらやましいか、俺が?」
皮肉っぽく見えるように顔を歪めて笑う。
古泉はもう一度、真っ白になった板へ視線を移す。ええ、と頷いて安楽死を決めた不治の病人みたいな綺麗な笑顔を作った。
「あなたの僕への優しさが、」
俺はため息の代わりに目を閉じる。最初からわかっていた通り、結局なにひとつ伝わっちゃいない。
「うらやましくてたまらない」
古泉は目を閉じる代わりに大げさなため息をついてみせた。
オセロをやるボードの名前がわからない…
あれも盤って呼んでいいのかな。ううん。