とかす

 さむいですね、とか珍しく短い言葉で笑う古泉が、平たい胸の前で白い右手と左手を組む。見るからに血行の悪い指先がお互いを暖めようと引きあっている。一人上手で健気なこった。たぶんだれも俺とお前のことなんか監視しちゃいないのに。一面白く染まった運動場、すみっこで所在なく震えている俺と古泉のわきをすり抜けて、三人分の真新しい足跡が少し遠くまで続いている。グラウンドの一角に陣取ったハルヒと長門と朝比奈さんは、手当たり次第に雪を固めたり無言でそれを見つめたり天使のように微笑んだりしているようだった。ハルヒの元気と熱気にあてられたのか、それとも女子に寒さは通じないのか、長門はともかく朝比奈さんすらも寒がるよりは雪に感動するほうに忙しいご様子だ。このくそ寒い中でも熱き青春を謳歌する部活生たちの幾人かが、迷惑そうな好奇の目でちらちらとこっちを、というか女子のほうだけを見ている。残念だったな、三人とも防寒ばっちり露出ゼロだよ。ついでに言うと俺も寒さ対策はぬかりなく、仲間はずれなのは制服にコートを着ただけのお隣さんのみである。寒い寒いって散々予報でも言ってたろうが。寒いと思うなら着てこいよ。恣意的な無意識で古泉の一挙一動を追いかける俺の横目が、絡んだその指の温度を濃い青色に幻視する。サーモグラフィだかなんだかで撮ったとしても、こいつの真ん中あたりがオレンジ色になってないんじゃないかと不安だ。分厚い手袋をした俺の手は、コートのポケットの中で縮こまっていて外には出てこられない。寒いから仕方のないことだとはいえ、もどかしくてじりじりするな。白いトレンチコート姿の古泉の耳と鼻のあたりは真っ赤で、元の色とのグラデーションが煩悩に悪い。ああ、もどかしくてむらむらもするな。いらん夜の記憶がフラッシュバックしようとするのを慌てて押しとどめる。ポケットの中の手袋の中が若干湿ってきたことに気が付いて思わずみっともない笑みが漏れた。組んだ手に向かってはあはあ言っていた古泉が、不毛な作業を中断して俺を見つめる。
「雪だるま、僕たちもつくりますか?」
 ……何の話だ。
 と、口に出してから気付く。人畜無害な笑顔で埋まる視界のはしっこに、よく見ると、大声で実に楽しげな奇声を上げるハルヒが映っているではないか。古泉のぺったりくっついた両手がするりと離れて、細い右手の人差し指だけがそっちへ向けられる。なるほど、コンパスで測ったみたいに丸い雪玉ダブルの前に、長門がやり遂げたような無表情で突っ立っていた。破顔したハルヒは何ごとか、おそらく「すごいわ有希! 完璧よ!」といったようなことを叫んで何故かガッツポーズ。朝比奈さんはもこくこくとそれにうなずいて、妹と大差ない無邪気さをいかんなく発揮していらっしゃる。とても上級生には見えん。グラウンドで雪遊びしてるのがぴったり似合う驚異の愛くるしさだぜ。
「さすがは長門さんですね。見事なバランスです」
 うむ、まったくだ。そう相槌を打つために首の向きを元に戻したら、一瞬前まであったはずの古泉の横顔がなかった。
「小さいのでもいいですか」
 とりあえず固まっていたところに、下から間抜けな声が聞こえて気が抜けた。息を吐く。白く濁る。しゃがんだ古泉の茶色い頭を俺が見下ろして、いるというその構図にポケットの中の右手と心臓がうずいた。古泉は足を折りたたむと腹立たしいことに意外とコンパクトになる。長めの髪の隙間から赤い耳がちらちらのぞく。うつむいているから、普段お目にかかることのない首の裏の肌さえよく見える。古泉のつむじの在り処なんて初めて意識したかもしれん。ポケットの中で手袋が脱げないかと単身格闘している右手はたぶん今オレンジ色を通り越して真っ赤だろう。この頭を撫でたい。首筋の生え際をこすりたい。素手で。素面で。個室の外で。天下の往来運動場で。
「……つめたい」
 地面間際のひとりごとが上まで届いて、沸騰間際の頭をわずかに冷ました。何秒間かためらった後、見下ろす視点を放棄して、俺もすとんと落ちるようにしゃがみこむ。雪にまみれた古泉の無防備な手のひらが痛々しいくらいに赤い。その両手にくるまれるように、どんぶりサイズの雪玉がいびつに固められていた。
「このくらいでいいですかね」
 耳と鼻と両手を染めて屈託なく、けれどもほんのわずかの不安を混ぜて笑う古泉の、考えていることなんてすぐに分かる。分かっていないかもしれないが、少なくとも古泉が思っているよりは分かる。バカだなあお前はとか言っていっそ抱きしめてやりたい、のだが、やれたらいいのだが、俺はうなずくしかしなかった。寒いな、と言えばそうですねえ、今日は特に冷えますね、とか古泉が笑う。俺の一言にもいちいち律儀にできるだけ長い言葉で返す、面倒くさい話し方が耳と気持ちに心地いい。笑いださないように、つまらない表情をつくるのがなかなか難しい。上に乗せるための雪玉を、赤い両手がぎこちなく握る。赤い? 深い藍色にも見える。指先や綺麗に整えられた爪のあたりはすでに真っ青だ。目の前で動く低い温度に、俺は暖色を足したくて矢も盾もたまらずとうとうポケットの中から両手を出した。右手左手で取っ組み合って紺色の手袋をすっぽ抜いて、ええい抜けん、数秒格闘してから白い雪の上に叩き落とす。
「できましたよ、ほら」
 どんぶり雪玉に頭がくっついた、へたくそでバランスの悪い雪だるま。小さいほうの雪の玉を、滑り落ちないように大事そうに支えたまま、古泉がにこにこ笑う。素人目には分かりづらいが、あれは得意げな笑みなのだ! くそ、何も考えないでそういう顔ばっかりしてればいいんだお前は。突然の外気にびびる両手を伸ばして、凍りきった両手にさわる。だるまの頭を抱える手に覆いかぶさる。冷たい。冷たくて痛い。古泉は驚いたかのように動かない。
「とけろ」
 青にオレンジが混ざりあうのを、古泉ばかり自動で追いかける俺の眼球が幻視する。急速に奪われていく手の熱も、こいつの体温に変わるなら惜しくない。指先で暖まった血液が、真ん中の心臓を通って恒久的にぐるぐる回るなら文句ない。
「……明日も寒くなるそうですから、もうしばらくはもちますよ」
 見当違いの苦笑が本気か嘘か、どうでもいいので雪玉から手を引きはがすことで相槌にしておく。支えを失っても、背の低い雪だるまは若干斜めのままちゃんと立っていた。綺麗に赤く染まった手のひらに手相を重ねるみたいに押し付けて握る。男二人で雪だるまを挟んで一体なんの儀式をしているのかと自分でも思うが、どうせ誰も気にとめちゃいないだろう。ハルヒのでかい声と朝比奈さんの笑い声はうっすらずっと聞こえているし、部活生はボールに振り回されるのに必死で男二人など男二人だからこそ存在にすら気づいていまい。
「すみません、冷たいでしょう」
 自家製のガタガタな雪だるまを眺めながら、古泉は困ったようにそう言う。へたくそなやつだ。どうなって欲しかったのかは知らんが、俺にしてほしいことがあるならそう言えばいいんだ。遠回しでもわざとでもそうじゃなくても俺のやることは変わらん。だからわざわざ質問してやる義理も責め立ててやる理由もないな。お前は雪だるまがつくりたかっただけなのさ。それが間違いなく嘘じゃないのは分かる。どこまで本当なのかはどうでもいいことだ。
「いきなり熱くて痛いだろ」
 手に力を入れて握ると、ちょっと遅れてその半分くらいの力が戻ってきて、無意識に口角が上がる。やたらと神妙な顔つきで、古泉は長門のまねをするような浅い角度でうなずいた。
「……でも、あったかいです」
 そうかい、ならいいさ。古泉は雪だるまに向けて顔を伏せたまま、俺を見ない。赤いままの耳もあっためてやりたいが、どうもその必要はなさそうだ。

タイトル別案:プレデター的視界から愛でる古泉一樹
計画的なようで一手先くらいまでしか考えてない古泉悪くないよかわいいよ古泉