まぶたの裏に光が弾ける。きれいな、明るい、たくさんの色の光だ。眩しさに頭がくらむ気がする。
からん、と涼しい高音が鳴る。ストローがかきまわす氷がぶつかる音だ。網戸の向こうから蝉どもの声が、俺の左耳の中だけで鳴る。まぶたをぺらり、めくって目をひらく。部屋に差しこむ陽光がほのかに揺れていた。
「寒くないか?」
いいえ、とゆるゆる振られた首筋は光に透き通るようで、俺はふと手を伸ばしてみたくなる。淡いブラウン、色素の抜けたような色が、うなじにそっと垂れている。
「涼しい、ですねえ」
薄っぺらい微笑を浮かべた古泉は、昔の歌を思い出すようにゆっくりと呟いた。なにがあるでもない、今日はありふれた、ごくありふれた日だ。そういう了解を双方が持っている、日だ。
「そうだな。涼しい」
ごろりと転がって、網戸の前で足を投げ出して座っている古泉の横へ。半袖シャツと短パン、というゆるい格好をした古泉は、網戸の向こうの狭いベランダ、その先の青白い空を当て所もなく眺めている。細く伸びた脚に頭をつけて、す、とふくらはぎを指の先で撫でた。流れこむ風はゆるやかに、冷えきって俺の前髪を震わす。
「お昼、なににしますか」
独り言みたいにそう言って、古泉は軽く首をかしげる。ためらいがちに伸ばされた手、軽く丸められたこぶし、その手の甲がするすると、俺の頬を滑る。眼球をぎゅるりと動かして視界のはしに入れると、古泉はぼんやり笑っていた。
「そうめんとかざるそばとか、そんなんがいい」
古泉はくすくすと丁寧に笑って、頬に当てた手を柔らかく押し込んだ。
「寒いでしょう、さすがに」
それにそんなもの、うちにはありませんよ。つられて苦笑し、俺はのそのそ片手を持ち上げて、頬に触れたままの古泉の手に乗せる。思うとおり、それは冷たくて骨張った、ごく普通の男の手だ。ふにふに触っても古泉は特に気にする様子もなく、床に置いたままのグラスへ空いたほうの手を伸ばした。口に含んだストローを何度か甘噛みして、氷だらけの薄いアイスコーヒーが古泉の中へ流れ落ちていく。なめらかに動くその白い喉を見つめながら、俺は脚に触れていたもう一方の手を離して、両手で古泉の手のひらを掴んだ。
「…夏の昼っつったら、そうめんに決まってんだろ」
グラスを置いた古泉が、呆れたようにまた笑う。掴む俺の手を振り落とすように、古泉はぐいと腕を上げた。俺の手はそれを追ってまた、空中で細い指をつかまえる。
「買いに行きますか?」
「…めんどくせえな」
頭の上に古泉の手を広げる。きれいな薬指を引っ張って曲げたり伸ばしたりしながら、手のひらに刻まれた相をしげしげと眺める。逆光になってあんまり分からない。薬指を解放して、親指と人差し指の間から伸びる線をはしから、静かに辿る。
「くすぐったいです」
抗議するようにそう言いつつも、古泉は抵抗せずに、俺を見下ろして面白そうに目を細めた。指の腹でゆっくりなぞっていくと、手のひらの皺は半分くらいのところで唐突に、ぷっつり途切れていた。
「…買い物、僕一人で行ってきますよ。本当にそうめんでいいんですか?」
手のひらの真ん中に指を当てたまま、俺は細っこい指の隙間から古泉の瞳を見つめる。深く、くらく澄んだ静かな、湖面のようにきれいな瞳。ベランダの向こうの低い空から凍った風が音を立てて吹き込み、古泉はかすかに身を震わせた。剥き出しの肌が締まり、寒さにざらつく。
「…俺も行く。あったかいもん食いてえな」
切れた生命線を指の腹で何度も、何度もこすって、俺は古泉の手のひらをぎゅっと握った。そのまま起き上がって、今度は古泉自体を抱きしめる。強く、訳のないかなしさを嘘にできるほど強く。冷えきった体は薄く、しかし確かな温度を持って動いていた。
「夏は、もういいんですか」
ん、と耳元で頷き、鳥肌の立った古泉の腕や背中をさする。襟足にそっとくちづけて、寒いな、と言った。
「じゃあ、そうですね、にゅうめんにしましょう」
古泉は楽しそうに笑って、おもむろに立ち上がる。着替えてきますね、と意味もなく微笑む古泉を横目に、俺は網戸の上から窓を閉める。外には冬晴れの町が明るく広がっていた。
夏はまだ遥か、遠い。
もこもこに着込んだ古泉の手をとって、陽光と北風の中へ、ゆっくりと扉を開けた。
にゅうめんはそうめんよりおいしいと思いますが、
夏は冬より感傷的だと思います。