太陽を追う

 まっしろいサマードレスを着た少女が、太陽光に焼けた道路の上を軽やかに跳ねてゆく。その後ろを遅れてのんびり歩く男が、額の汗を手の甲でぬぐう。ひたすらまっすぐに伸びる片田舎の太い舗装路には、一億五千万キロの彼方の恒星から降り注ぐ熱が満ち満ちて、溶けた空気を滲ませている。どこでだってただ唯一明瞭であり続ける少女はしばらく先で立ち止まり、連れの男を振り返った。まだずいぶん手前を歩く男がなにかを叫んで呼びかける。彼女は笑った顔で怒ったような声を出して、急ぐ気のない彼をせかす。彼女の白く細い腕は、道の続きをまっすぐに指さしている。その先には一体なにがあるんだろう、ぼんやりとどこか遠く、僕の目では焦点が合わない。文句を言いながらも歩く男がやっと彼女に追いついて、それから二人は顔を見合わせて笑う。焦げついたアスファルトから立ち昇る暑さすらまるで意にも介さぬようだ。彼女は彼の濃い色の手首を掴んで、待ちきれない子供のような瞳で道の先に広がるどこかへと駆け出す。彼女と彼が振り切っていった、蜃気楼のように湿気を含んだ熱風が、僕の頬をかすめて消える。切れたようにひりひりと痛む。
 高く弾んだ笑い声が遠くから響いてきて、もう一度目を凝らすと道の先に広がる景色がひどくかすれて幽かに映った。きいろい。きいろ、しろがくるくる、明るすぎて見えないけれど、電源が落ちたように急にすべてに合点がいった。この道がひらけた向こうにあるのはきっと、嬉しそうに飛び回る少女と、それを優しげな瞳で眺める男と、それから見渡す限り一面のひまわり畑だ。底なしの濃い青に飲まれた空の下、ひらひら舞う白いワンピースがよく映えて、彼女の頭に結ばれたリボンが無数の花びらの色に混じる。彼女の歌うような笑顔はまるでこの世の楽園のようで、その隣でつられたように微笑む彼はなにもかもを手中に収めていらないものを捨てたのだろう。彼女があんなに笑うのは、そこがひまわり畑だからではなくて、そこにいるのが彼だからなのだ。
 液化した夏の暑さが肌をすべる。うだるような熱で視界が歪む。蜃気楼はきっと僕のほうなのだ、彼も彼女もまるで二人しかいないように楽しそうに笑っている、世界はふたりのためだけにあるように。ぐらぐらと頭が揺れて、網膜の上で溶け出した色が混ざり濁る。だれかの声もぶれて聞こえる。笑わないまぼろしはきっとここにはいらないのだろう、そういえば、僕は一度も笑わなかった。彼にだって彼女にだって笑ったけれど、彼と彼女のためには、たしか一度も微笑まなかった。

 目を開けると、現実が夢に変わって霧散した。差し込む光が潰れたひし形みたいな形の模様を天井に白く描いていた。着ていた半そでのシャツが汗でじっとりと湿っている。吸い込む空気が少し苦い。首に髪の毛が張り付いていて、体を起こした僕はそれをざりざりと払って目をしばたく。体が重いとふと気がつけば、よれてまとまった布団がぜんぶ僕の上に乗っていた。夏用の薄いそれさえ気に食わずに蹴り飛ばしたらしい彼は、よほど暑かったのだろう、腕をばんざいの形に上げたまま、僕の隣でまだ眠っている。眉根を寄せた不機嫌な寝顔はだれに向けられたものなのだろう。手を伸ばして、額に張り付いた短めの前髪を親指の腹で軽くこすると、低いうめき声が鳴る。近づいた頭をもう少し寄せて、なんとはなしに唇を重ねた。彼の肌も僕の肌もべたべたしていて生ぬるい。呼吸一回分の時間を待って離れて、キスくらいでは目を覚まさない彼の開かない瞼を見つめる。この下にある眼球は今夢の中で、笑う彼女の華奢な体を追っているのだろうか。それともきいろい花畑の中で、可憐にはじける声を奏でる白い喉をじっと眺めているのだろうか。
 頬に添う僕の手の熱が邪魔なのか、鼻に抜ける声を出した彼は僕の反対側へ転がろうとする。そっと手を離せば、ベッドのふちへ寝返りを打った彼の剥き出しの背中にはもう腕が届かない。昨日の夜に呼ばれた名前の音階は覚えているけれど、それが本当ではないことくらい僕も彼も最初から理解している。だからといって嘘なのではない。いくらなにを重ねても、確かなものに決してならないだけなのだ。僕にとっての彼も、きっと彼にとっての僕も、真夏に浮かされた蜃気楼のような、実体も持たずにゆれて逃げるだけの都合のいい、体のいい幻像にしかなれない。そうでもないとうそぶく彼も、わかっていないはずがないのだ。彼は彼女と彼女たちのためにしか笑わない、ものなのだ。僕は僕と、僕と彼のためには、目を開けずにただ口先だけでほほえんでいればよかったのだ。
 彼を起こしてしまわないように、僕はそろりとその体を乗り越えてベッドを出る。適当に床から下着と服を拾って履いて、カーテンと窓を全開にして彼の元までできるだけ冷えた風を通す。遅い朝食を何にしようか考えながら、顔を洗いに出る扉を大きく開け放つ。僕のいない僕のベッドで、彼はどんな夢を見続けているのだろう。洗面台の鏡の中には表情の消えた男が映る。ひねり出した水は冷え切っていて、頭の中と心臓の熱をいとも簡単に奪っていく。ぬれた髪の先からぼたぼたと水滴が伝い落ちた。視線を上げれば顔中を、目元までぬらした男と目が合って、ふたりで同時に互いをわらう。ひまわり畑が少し遠くのどこかにないか、探してみようと僕は決める。彼女はきっと笑ってくれる、彼だけのためでなくたって、彼女たちのために、そして僕のためにすら、彼がいる限りいつだって。瞼を下ろせば、鏡の向こうにはひまわり畑がきいろく広がる。触れた唇をぬぐえば僕は、白いサマードレスがよく似合う、彼女と彼のために笑える。

ひまわり色にしようとしたら目潰しになってごめんなさい
夏がずっと好きです 終わらなかったらいいのにな