いち、にい、さん、古泉がひとつずつ小さく声に出して白の数をかぞえていくのを、頬杖をついて俺はぼんやりと凝視している。二人きりの部室、でかい窓の向こうは白っぽく薄まった色の夕暮れで、ついこの前まではこの時間はもう夜だったのに不思議なもんだと思えば無意識に口元がほころんだ。二十を越えたらよくわからなくなってきたのか、古泉は両手を広げて指を折りだした。さっぱり自分の黒をカウントする気のない俺のぶんまで両方かぞえているらしい。ぱっと見で俺の勝ちなんだからそうしときゃいいのに、古泉はいつも白と黒を両方ぜんぶ数えてみたがる。負けず嫌いは結構だが、そんならもう少し上達するほうに力を入れろよな。
「黒の…あなたのほうが、五つばかり多いようですね」
曲げた両手の指を交互に見比べながら、覇気のない声で古泉はそう言って笑った。そうかい、そりゃ気の毒に。パイプ椅子に体重を乗せて頭の後ろで腕を組む。俺にだけわかりやすい調子でしょぼくれた古泉は、「全勝だなんて大人げがないですよ?」とか子供みたいなことを澄ました笑顔でつぶやく。そんなことを言ってる時点でお前のほうが大人げないぜ。
「手加減したら怒るっつーのそっちじゃねえか。なんなら先手変わってやろうか?」
緑のボードの上から黒い丸をひとつ、指先でつまんでとりあげる。黒の面が古泉を向くようにして突きつけてやれば、へらへらし慣れてるはずの薄い唇がなだらかな山なりに結ばれていた。
「今さら変えるのはあまり気が進みませんね。僕が白で結構ですよ」
ああ言えばこう言いおって。ええいめんどうなやつだ。
「お前が勝つまで付き合えばいいんだろ」
軽く浮かぶ溜め息に混ぜてぼやいたら、古泉は何がおかしいのか今度はくすくすと笑い出す。へこんだり怒ったり笑ったりせわしないな、だれもいないときだけは。
「ええ、僕と付き合ってください」
冗談がうまいつもりなのか気持ち悪いくらいにやついている古泉は放っておいて、散らばった駒をがしゃがしゃと手元に戻して盤上を緑の更地にかえした。真ん中に四つだけ白黒を残して並べ、俺はその白の隣に黒を置いて断りもなくゲームを始める。
「それこそ今更な話だな。……何ヶ月前だっけ」
悩みもせず角まっしぐらな位置に白を置いた古泉は、返された俺の質問に思案げに眉を寄せた。白い手のひらを広げていち、にい、さん、小さな声で指を折り始めた目の前の男を、せっかくだ。どうせなら、外が真っ暗になるまで負かし続けてやることにしよう。
しろいこいびと
葬式の帰り道、俺はいつもすべてをいっぺんに思い出す。これで何百回目だろうか。俺はまた、古泉を救えなかった。
「…なんでいつも、思い出せないんだよ」
そう呆然と呟くのと同時並行で、これまでの何百回ぶんのシークエンスの記憶が雪崩となって降ってくる。四秒後白い激流に思考があらかた埋もれたころ、そして見計らったように今度はこれまでの何百回ぶんのシークエンスの感情がぜんぶ一度に落ちてくる。後悔の念と途方もない喪失感の渦のなかに、なんにも気付かないしあわせが蜃気楼に擬態した事実として確かに存在していて、それが悲しくて悲しくて仕方がないのだった。古泉は俺のせいで俺の手の届く範囲から完全に消えてしまった。焼香の匂いが制服に染み込んでいる。黒い額縁。延々と続く単調なおまじないの低い音。
「あなたが諦めない限り、時間は先へは進まない」
長門のような人形の、瞳のようなガラス玉がこっちを見ている。
「次は、大丈夫だ」
固く絞った雑巾みたいな声で俺はうめく。長門に似た人形は落胆だか呆れだかそんな雰囲気を纏いだして相変わらず無表情だ。
「何度繰り返しても、過程が変わるだけ。結果は変わらない。変えることは不可能。あなたには」
そのような能力はない。
「……覚えたままじゃいられないのか。俺が、俺だけでも覚えてればあんな、」
俺は両手を広げた。道路に映る自分の影は喪服の色だった。
「それは不可能。ルールに反する。そうなればこのような繰り返し自体が成立し得なくなると思われる」
長門はそれだけ言うと、電池が切れたみたいにまばたきさえしなくなった。
今はいつだっけ。ツクツクホウシが鳴いてる、でも俺も古泉も冬服を着てて少し寒い。桜が咲いてるのにプール開き。吐く息が白いから扇風機の回る音がして鈴虫の夜が来る。今はいつだっけ。いつだったっけ。
「今度は間違えないさ。すぐに思い出して、古泉も俺もいっしょに」
気が付いたら世界には古泉はおろか息をする生き物がなにもいないのだ。俺はひとり、こんな世界に置いていかれる。
そんなくだらない夢は起きて二秒でさっぱり忘れて、またいつもの基準のおかしな平凡な日常を俺は怠惰に過ごしはじめる。古泉はにこにこ楽しそう。オセロは今日も俺が圧勝。こんな日々が続いてくことはだれにだって当たり前で、疑うだけ馬鹿なことだ。今日も世界はなんと平和なことか!
――人形のような長門の、ガラス玉のような瞳がこっちを見ている。
なあ、そうだろう? いつだって、いつまでも。
このまま君と永遠にずっと
いちにっさんはいで世界を救うぜ、見ていろ。
そう彼が勢い込んで言うものですから僕は唱えました。いちにいさん。
「はい」
「よっしゃ」
向かいのパイプ椅子から立ち上がった彼は嬉しそうな顔で団長席におわします彼女につかつかと歩み寄り、「立てハルヒ」「なによ」立ち上がった彼女の両肩に手をかけ、笑いを噛み締めた嘘くさい真面目顔で口を開きました。
「すきだ」
返事はありません。だれも何も言わないでいると彼が僕を振り返り、見たこともないほどきらきらした瞳をぶつけてきました。
「なあ、どうだ? 救えたろ世界。これで万事解決だ!」
「はあ」
数秒間固まっていた彼女は我に返ったようで右手が綺麗なフォームで上がります。上がりましていちばん高いところでぴたりと停止、それから空気を切るびゅっという音とともに彼が床にもつれ込んで倒れます。彼女は彼の頭を軽く踏んでから「古泉くん、こんなやつのことどうとか思ったりしたらだめよ。バカだもの。あなたにはせめてもう少し賢いのがお似合いだとあたしは思うわね」「肝に銘じておきます」すたすたと部室を出て行かれました。
扉が勢いよく閉まるのを見届けてから、僕はパイプ椅子から立ち上がって床に伸びる彼に右手を差し出しました。「ろくなことにならん」ぶつぶつと呟きながら僕の手をとって体を起こした彼は、心底納得がいかないとばかりに眉根を寄せています。
僕はそんな彼を見て、なんだか嬉しくて笑います。いちにいさん。
「はい」
「なんだよ。言っとくがすきだぞ。お前が。俺」
そうですか。
「たぶん、世界はもう救われてますよ。結構前にね」
彼はつまらなさそうに唇を尖らせると、今度は笑わずに目を閉じて、僕の両肩にそっと手をかけました。
三秒で分かるキョン×古泉
かなり古い細切れネタの適当まとめ
思ったよりだいぶ電波ぽえむばっかで相当はずかしい